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えっちゃんの中国美大日記 第19回「跨界の理念 ——中央美術学院の前学長潘公凯インタビュー」

えっちゃん5 dotline 潘公凯 1947年生まれ 1996年から中国美術学院学長を務める、2001年から2014年までは中央美術院の学長を歴任。現在中国美術家協会副主席。また近代中国画の巨匠潘天寿の子でもある。
新作「鉄鋳残荷」 15m×1.8m フリーア美術館展示のための特別創作 フリーア美術館収蔵

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日本からの帰国 江上:潘公凯先生はちょうど日本から帰国したと聞きました。今回会えてとてもうれしいです。 先生は出張で日本に行かれたのですか? 潘公凯:今回は人民中国雑誌が日本で主催した、東京にある中国文化センターで仕事がありました。日本の前総理大臣である鳩山由紀夫さんや日本の有名な書家たちと一緒に急須に文字を刻み、それらを中国文化センターにて1ヶ月間展示する予定です。 江上:日本の滞在期間中、美術館などは回りましたか? 潘公凯:2日間しか滞在していないので、唯一見た美術館が六本木にある森美術館です。森美術館では2つの展示があってどれも、コンセプチュアルな展示でした。この展覧会から森美術館の理念と前衛性を強く感じました。 江上:ええ。今回潘公凯先生をインタビューするのは現代美術の中心が変化している中、潘公凯先生はこの歴史的にも重要な時期に中国トップの2つの美大の学長を歴任し、作品からも多面的で従来の中国画家のイメージを覆しています。そこで潘公凯先生をぜひインタビューしたいなと思いました。  実際、先生は2011年に日本の東京藝術大学にて「伝統と現代」というタイトルで展覧会をしていますよね。また私自身は2013年に今日美術館で「弥散与生成」という先生の作品を見ました。特に雪のようなアルファベットが落ちてくる「融」というインスタレーションが好きです。 潘公凯:その作品はベネチアビエンナーレでも展示し、香港、マカオ、いろんな国で展示し、来年の2月にアメリカのシアトルにて展示する予定です。今回アメリカのフリーア美術館での私の水墨は2ヶ月間展示されます。 アートの中の「跨界」とは 江上:では先生の2011年の「伝統と現代」の作品と今日の作品を比較しておおきな変化はありますか?考えなど? 潘公凯:考える方向は同じです。この3,4年間は主に2つの方面に興味があります。ひとつはアウトサイダー(跨界)。跨界の問題は個人的には重要ではないと思います。なぜなら今の文化の方向性は全体的に跨界を強調していますからです。この跨界の道筋はもともと科学の世界から来ていまして、科学技術の進歩のためには跨界が推進力となっていますし、現在の科学の大きな成果の多くは跨界の結果からきています。いろんな分野の力を借りて、世界の科学技術と経済の発展を支えています。これはとても重要なことで、では文化と芸術の領域に移ったとき、芸術も跨界をしています。この「跨界」に大してもっと深く理解するために、私は理論上で研究するよりも実際に実践して作品を作れば跨界が一体どういうことなのかわかると思ったのです。  だから跨界というものは、してみようと思ったらできるものではないし、結果が必ずいいとは限らない。だから私はこの「跨界」の前に「界を守る」という考えを提案しました。 まずは自分のいる境界内を理解して、守らなければ「界」を跨ぐことはできないし、良い結果が出ないと思いました。だからインスタレーションをする前にまず自分の専門である水墨がうまくならないと駄目だと思いました。水墨がしっかりした前提で、インスタレーション、建築へ跨界していゆきました。  教育者の立場からも子供たちに跨界を無理には要求しません。みんながそれをすれば必ず問題が起こりますし、専門がなくなってしまいます。若者たちにとってはまずはひとつのことをしっかりやってから次のことを薦めています。アインシュタインも跨界の典型的な人物ですよね。 江上:この「跨界」という考えは先生が90年代に初めてアメリカへ行ったことから影響していますか?その後欧州の有名な美学に関する理念を覆した先生の論文も「界」に関連していますよね。 潘公凯:そうですね、少し関連しています。でもこの「西方現代美術的辺界」という論文で出てくる「界」はまたほかの界です。そこの界は芸術と非芸術の間の境界で、異分野の間の境界ではありません。本の中で書いた「界」はたとえば、今使っているこの机がなぜ美術館では芸術品で、ここでは芸術品と呼べないのかということです、 江上:デュシャンを思い出されますね。 潘公凯:ええ、デュシャンの理念と関連しています。要するにデュシャンは芸術と非芸術の境界を破りました。では私が考えたのはもう一度芸術品と非芸術品の間の分界線を探そうということです。 江上:ではこの「跨界」の考えはいつ頃から頭の中にありましたか? 潘公凯:私は趣味の範囲が広い人間なので実際ほかの分野のものにはずっと関心がありました。でも実際に跨界に関するものを作り始めたのはこの10,20年間でしょうか。例えば私はアーティストでもありますが、芸術理論に関しては1980年代から初めています。インスタレーションはこの10年です。
ベネチアビエンナーレ出品作「融」インスタレーション

ベネチアビエンナーレ出品作「融」インスタレーション

批判の中で守った伝統 -中国の国粋主義は日本から影響 江上:先生の80年代に出した多くの理論のひとつに「緑色絵画略想」がありますね。これは中国国画の伝統の維持と伝承に関しての文章ですが、当時の80年代は西洋の文化が多く中国に流れ込んだ時代で、多くの人が伝統のものを破壊したり、誤解する中で、この理論に関して反対の意見も多かったと思います。そんな中で、この理論を維持しようと決心させたものは何だったのでしょうか? 潘公凯:あの時代に出てきた観点は過激なものが多く、中国の芸術はあまりにも時代遅れだから、完全に西洋から勉強しなくてはいけないという考えでした。当時中国の主要な考えは「全盘西化」というすべて西洋化の流れの中で、私はもちろん西洋から学ぶものもあるけれども、中国の伝統をすべて捨てることはないと思いました。この2つのことは並行して行うこともできるし、矛盾もないと思います。西洋から学ぶことも、伝統を学ぶことも両方できると思います。これが私の主な考えでうし、私一人で創ったものではありません。 20世紀の中国は全体的にこのような風潮があり、西洋一辺倒の考えと伝統を守る考えがありました。この2つの風潮は20世紀の日本ととても深く関係しており、日本の明治維新後も一部の人が欧化政策を、一部のひとが国粋主義でした。中国の後者のほうは日本から来たもので、中国20世紀の国粋主義は康有為などが日本からもって帰ってきたものです。なので中国には西洋化主義と国粋主義の2つの思想がありましたが、私はこの2つは相反するもののようで、実際にはお互いに通じる関係なので、共存し、「両端深入」する観点を提案しました。 東洋文化を理解するためにまずは西洋文化を理解し、覆す 江上:西洋現代美術を深く研究と同時に中国の伝統も深く理解するということですね。では先生は80年代に中国の伝統を研究するだけじゃなくて西洋に関しても研究していたのですね。 潘公凯:ええ、90年代の初めの頃アメリカへ行ったのも、アメリカの現代アートをもっと理解するためでした。 江上:当時アメリカに行ってどうでしたか? 潘公凯:私がアメリカに行った目的は西洋の現代アートを明白にすることだったので、一生懸命に勉強して「西方現代美術的辺界」という論文を発表しました。この論文の意義はどこにあるかといいますと、まず一つ目に西洋現代アートの核心に問題点があることです。西洋美術理論の背後の骨組みにある革新的問題点です。この問題点は芸術と非芸術の境界です。わたしの論文では西洋の現代美術の骨組みを「錯構」(誤った構成)という理論でまとめ、デュシャン以降のレディメイド(ready-made)を説明しました。 江上:ではここでいう「錯」の基準はどこにあるでしょうか。 潘公凯:例えばデュシャンが便器を置いてはいけない場所である展示室に置きましたね。みんなそこに置いては間違えだと思う。便器の機能を消してしまっています。 江上:そのものの本質と定義を変えてしまったということですね。 潘公凯:ええ、本質をねじって、間違えてしまい、それが芸術になったということです。実際この論文は5万字で、当時発表したときは全く反応がなかったので、みんな理解していないのではないかなと思います。そして2011年に北京大学にて世界美学大会がひらかれて、世界美学学会が会議を開きました。その場には2000人もの美学学者がいて、外国からは900人参加していました。そこで1000篇もの論文の中で私の論文が1番の評価をいただきました。 江上:15年のときを経て。 潘公凯:ええ、重要なのは私の理論がアーサーダントーと全く異なる理論を書いたことにあります。アーサーダントーはアメリカニューヨークのコロンビア大学の終身教授で、生きている美学者の中では一番有名です。なぜなら彼は「芸術の終結」「芸術の死」などのの文章を発表し、芸術品と日常品の境界線がどんどん薄くなり、なくなりつつあるという理念を発表した第一人者だからです。でもわたしが提案したのは境界線はあるという理念だったので、彼の理論を覆したといえるでしょう。私は初めて彼の理論に異を唱える理論だったので、この会議後アメリカに行って彼と討論しました。討論の結果両方とも説服できませんでしたが、この談話自体に意味があります。違う角度での討論で面白いなと感じたのは、東洋人が西洋美術に関して美術学者と全く違う観点を出したことです。だからこれはアジア人だから見える異なった視点なのではないかなと。  アメリカの教授との異なった見方も一種の「跨界」ですね。西洋美術を明白にしたいという気持ちは、ひっくり返せば中国の伝統絵画をさらに前進する考えでもあります。
インスタレーション

インスタレーション

互いによくなるには距離を保ち存続すること 江上:では先生のインスタレーションはアメリカから影響を受けていますか? 潘公凯:アメリカから帰ってきてからは、時間があればインスタレーションをしようという考えがずっとありました。でも時間がなかったので実際に作り始めたのは2001年ごろです。 江上:ではこれは先生が80年代に提唱した伝統を保持する方向と矛盾しませんか? 潘公凯:この2つは全く異なるものですから矛盾はありません。「融」のインスタレーションでは底に私の描いた水墨画が移っています。でもこの作品自体は水墨画の現代化ではありません。なぜならここでの水墨画は底板でしかないからです。この底板は写真でもいいわけです。なのでこの作品は投影をすれば、ただの映像作品になります。純粋なインスタレーションです。  その後、私はおおきな球を作って宇宙空間を表現するインスタレーションを今日美術館で展示しました。実際にこれらは西洋現代美術をもっと深く理解するためで、西洋美術を理解することと伝統を継承することは矛盾ではなく、逆にお互いにいい影響をすると思います。 江上:では先生のつくった球体のインスタレーションに水墨画的コンセプトは入ってますか? 潘公凯:ありません。これを作るときはもう水墨画と関係していません。でも全く異なるものだからこそもっと明晰に両者の違いがどこにあるのかを理解することができます。 江上:では先生先ほど話した「両端深入」は実際にはこの両者は融合することができないということでしょうか? 潘公凯:2つとも融合する必要がなく共存することが大切だとお思います。 江上:ではなぜ先生はタイトルに「融」を選んだのですか。 潘公凯:ここでいう「融」は水墨とインスタレーションの融合ではなくて、東洋文化と西洋文化のある種の関係です。だから私はインスタレーションを通して、中国画についてもう一歩深く発展しようと考えました。例えば女性が男性を理解する一番いい方法は一度男性を経験してみることですね。 江上:これはわかりやすい。(笑) 潘公凯:最近私の考えと共鳴できる学者に出会いました。フランス哲学者のフランソワジュリアン(Francois Jullien)です。私の展覧会が杭州で行われるときに私の研究討論会に参加してくれました。彼自身フランス哲学を研究史、後に台湾と中国に10年間すごしています。彼の観点は2つの異なる文化の間で翻訳することはとても難しく、その言葉を 明確で完璧にあらわす他言語は永遠にないということです。なので互いに翻訳し続け、いろんな人がいろんな方法を通して翻訳し、この2つのものがひとつになるのではなく、ずっと存在し続け距離を保ち続けることが、互いの文化を最大限に保持する方法だということです。  これは私の考えでもあります。現代アートから水墨までしますが、この2つを一緒にするのではなく別々に行いながら、頭の中でこの2つを照らし合わせて関連づけ、説明しあっています。これは人類の多元化を保持する一番良い方法でもあり、融合してしまったら多元ではなく一元になってしまいますからね。 現代性の基準―日本、中国、インドの時代背景から 江上:とてもおもしろいですね。では伝統的な中国画は今日の現代アートにどうやったら入ることができるでしょうか? 潘公凯:どうすれば現代アートの領域に入ったことになるのか、この基準は何なのか。これは「現代性」の問題でもあり、さきほどの芸術品の境界とはまた違う研究対象です。ではこの「現代性」の問題についても私は「中国現代美術之道」という本を出しました。これはすでに英訳がでていて、すでに日本語と韓国語に翻訳が決定しています。  これに関しで現在今日美術館にて「現代性の伝達と変異」という展覧会を企画しました。これはアジアの3つの案例として、インドの文学者ラビンドラナート・タゴール、日本の画家東山魁夷、中国の水墨画家潘天寿を選びました。これらは西洋文化がそれぞれ3つのアジアのシステムに入ったときに起きたそれぞれの異なる状況を表している文献展です。この文献展でわかることは、当時の発展途上国(アジア)が西洋の新しい概念を受け入れるときに、それぞれの国で結果が変わってくるということです。インドはガンジーからしても不抵抗政策で、日本は明治維新のように、唯一自分から西洋化したため殖民化されているという意識が一番少なく抵抗運動が一番少ない反応でした。中国は抵抗が一番激しく100年間ずっと反対してきました。3つの国がそれぞれ違う反応した原因はそれぞれの歴史からくるもので、それにより現代に対しての基準も違ってきます。 江上:ではこの基準の要素は主に何ですか? 潘公凯:文化の伝統ではないでしょうか?インドはもともとモンゴルや古ローマ帝国の長い統括のもとでしたから、イギリスに植民地にされてもおおきな抵抗は出なかった。日本はずっと勉強してきた国で、もともと唐の時代から中国から遣唐使を派遣して中国から勉強していましたが、近代に入って西洋のほうが強いと感じ、西洋化する。脱亜入欧ですね。だから学ぶ対象が変わっただけであり、自覚的なので心障りない。だから抵抗が生まれなかった。東山魁夷も留学後日本画に変革を与えました。中国は20世紀の始まりのほうからずっと長い間抵抗してきました。3つの国ともとても興味深いです。この展覧会はドイツの西洋美術史の権威といわれているHans Neltingと私が学術顧問を担当しています。私たちは今グローバルの中での多元的芸術の多元性を研究していて、この展覧会はこの大きな課題のひとつといえるでしょう。 伝統的な中国画はどう現代アートになる?―拒否することもある種の選択 江上:これも新しい分野への跨界といえますね。では現在の水墨作家が現代アートを作るときはどうすればよいでしょうか?みんなコンテンポラリーに注目していますし、例えば今は新水墨が出てきていますよね。 潘公凯:「現代性」の理論に関しては、判断の基準は作品の形式ではなく作家自身にあると思います。現代性の文脈の中で自発的に自分の文脈を理解しているか、現代性の文脈に呼応しているか。現代の文脈をよく認識していてそれに対し答えを出しているなら「現代」といえるでしょう。例えば水墨家の黄宾虹はもともと急進的な革命家でしたが、その後上海で梁啓超が日本から持ち帰ったの国粋主義から影響を受け、全般的な西洋化の中で国粋主義の答えを出しました。中国で伝統を継承する形で自分の革命を続けようと考えたのです。なので彼の絵はとても伝統的ですが、作品の出発点は現代の事についての反応なので「現代的」であるといえます。だから私の考えは現代性の是非というのはその作家が心の中で明白かどうかということです。 江上:ということは、作品では判断できないということですね。実際に作家と話してその人の文脈や意志を知ることでわかる。 潘公凯:だから今日美術館でわたしが中国の代表として潘天寿を選んだことに多くの人が理解できないと思います。ではなぜ私が彼を選んだのかといいますと、彼の作品は西洋文化が深く浸透することに対しての一種の策略だからです。中国の文化もよいし、西洋文化と対話を続けるのに存在し続ける必要があるということです。 江上:これはとても中国的な回答方法ですね。 潘公凯:ええそういうことになります。これに対して三つ目の研究対象が中国近現代美術史と現代性の研究になります。 日本代表に東山魁夷を選んだ理由 江上:先生がそこで東山魁夷を選んだのはなぜでしょう。 潘公凯:中国にとってもっとも影響のある日本の作家は東山魁夷、加山又造、平山郁夫などの三大山といわれる画家たちです。中でも東山魁夷は80年代に中国美術館にて大型の展覧会を開いたので、当時の多くの若者に影響しました。展覧会を見た人は日本画の顔料に興味を持ち、日本の留学して日本画を学んで、後に中国で岩彩画家として活躍します。また東山はインドとも関係が深いですよね。思想上ではドイツにも留学しているので典型性があります。  彼に関してだけではなく、面白いことに、日本の2つの大きな思想である国粋主義と欧化主義の発起者が両方とも外国人という点です。日本の国粋主義も発起者はアメリカ人ですし、インドの伝統主義者の発起者はイギリス人です。現代のものが伝達するときはとても複雑で、この複雑性がまた面白く、日本インド中国と両派とも国を跨いで関連性があります。 ラビンドラナート・タゴールは中国にも来たことがありますし、日本にも訪問しています。インドと日本の距離はもっと近いような気がします。中国では多くの人が西洋化に賛成で西洋から学び、少数派がそれに反対している。これは例えば喧嘩をするときに相手から学んでから喧嘩するか直接喧嘩するかということです。直面している局面は2つの異なる文化なので、同じ文脈に対しても同じアジアといえどもそれぞれ3つの国で策略が違ってくるのです。 「跨界」のメリット、デメリット 江上:大変興味深い話で、ぜひ展覧会を見に行こうと思います。ではもう一度先生の作品に話題を戻しましょう。先生は建築、インスタレーション、美術理論、水墨など多くのメディア使っています。人の精力には限りがありますが、先生が多くの形式を使ったことに対してのメリットとデメリットは何でしょう。 潘公凯:良いところといえば、それぞれの異なる領域でほかの人よりもより深い理解を得たことです。異なる領域での仕事は一見分かれていて関連性のないように見えます。例えば水墨と建築は関連性がありません。でも深層上では関係があり一方がうまくいけば他方もうまくいきます。思想の共有上の面では共通することなのです。なのでそれらは区分がありつつ且つ背後には関連性が伴っています。またこの関連性はいいことに、1つ目の領域から2つ目の領域がうまくいけば、3つ目の領域から4つ目の領域にかかるスピードは速くなります。そうすると言語を習得するのと同じように、加速度的に速くなります。例えば建築は私の最後の分野で、もっとも短い時間で習得した分野です。それは他分野に入った経験があったからです。 良くないところといえば、疲労と時間がないということでしょうか。 江上:先ほどの先生の建築に関する会議も夜遅くまでの会議に驚きました。では先生はこのいろんな方法を通して最終的に何を表現したいのですか? 潘公凯:ひとつめは更に多くの知識を求めてゆきたい、もっと広く人類文化の成果を理解していきたいことです。それぞれの領域を違う領域から見るだけと実際に実践してみるのとでは違います。実践すれば着実性があるし、自信がもてます。私は3年間の時間でその分野の30年間のことをしたのは自信にもつながっていますし、これは跨界が私に与えたメリットでしょう。  もうひとつは異分野の互いの啓発性です。この啓発は直接的ではなく、建築を学んだから水墨画上手になるということではありません。道理は同じなので映像を作るときはもっと水墨が理解できるし、水墨が上手になれば更に一歩西洋の現代美術を理解することができます。だから私がなぜ90年代に「西方現代美術的辺界」というアーサーダントーの理論を覆したのかというと、やはり東洋の背景があるからです。この論文の中で私は一度も東洋について語ってはいませんが、物事を見る角度は東洋人の角度です。 江上:思考様式も東洋的ですね。 潘公凯:なぜアメリカ人でこの理論を覆す人が出なかったといいますと、アメリカ人のものを見る角度がアーサーダントーと同じだったからで、そのために失われた側面を見つけることができなかったのです。私は東洋人なので、それを見つけることができました。これが文化を跨ぐことの良いところでもあります。 江上:先生が話していることは西洋のシステムでありながら実は同時に東洋文化のシステムということでもありますね?共存しています。 潘公凯:ええ、そういうことになります。それらは対比することで見つけることができます。それは例えば男性を参照にしなければ女性を説明し、比較できないということです。対照することはとても重要なので、先ほど話したフランソワジュリアン(Francois Jullien)の観点に私はとても賛成です。間距の理論です。互いに照らし合わせることですコーヒーがあるからお茶を説明することができるのと同じです。 江上:この二項対立は哲学の原点でもありますね。 潘公凯:そうです。両方お茶では説明がつきませんからね。 芸術は自己の超越―法師との対話から 江上:先生が先ほど人類の知恵を追求していると聞いて、私はダビンチを思い出しました。では先生が先日清華大学にてあるチベット仏教の法師と対談した内容で、芸術は革新ではなく自己の超越にあると話していました。でも私たちにとってこの「革新」と「超越」はとても近い熟語です。そこで先生にとって、この2つの熟語の定義は何なのでしょう。 潘公凯:革新は新しいもの古いものの代替となる。新しいものは古いものと比較しています。では超越は何なのか?自己に対する超越です。では自己の何に対して超越するのか?それは日常生活の超越です。この日常生活への超越は審美の境界に対してです。境界が分けられない中で超越は芸術の機能でもあります。革新も芸術の機能ですがそれは2,3番目でやはり一番目の機能ではないのです。 芸術の目的は革新は主に科学の目的を超越することにあり、一番目に革新がきます。しかし芸術は技術と違うので、同じようには行きません。科学技術は革新が、非重複性があってこそ経済を発展させますが、芸術は重複性があっていいのです。 重複があなたの超越したい効果に到達するならば、超越し続けることができます。例えば陶芸は3000,4000年前から創られていますが、今も作り続けています。古い伝統だからやらないという話ではなく同じことを続けています。例えば日本の太鼓は技術的な革新は出がたいですが、音に味が出ればよいのです。楽しければいい。だから芸術の最終機能は超越であって、あなたの実際の存在を忘れてしまう超越です。 江上:それは「無」の域でもありますね。 潘公凯:日常からの忘却こそが日常の超越でもあります。例えば買い物のために歩いていたら美しい景色に出会い、買い物のことを忘れてしまうことがまさに超越です。
インタビューの様子 左は潘公凯、右は記者

インタビューの様子 左は潘公凯、右は記者

世界アートの均等化とフラット化 江上:これはおもしろい。これは境界と似ていると似ているけれども、先生は今日の世界の現代アートをどう見ていますか。 潘公凯:世界の現代アートはもちろん良いほうへ発展しています。森美術館の2つ展覧会、もよかったですよ。でもひとつだけ心配したことは、世界的な美術の潮流が東西でどんどん似てきたことです。 今年の春にドイツで研究討論会をしてきました。ZKM(カールスルーエ・アート・アンド・メディア・センター)という欧州で一番大きなメディアアートセンターにて世界中の著名なキュレーターの会議に参加しました。そこでビエンナーレに関する討論をしました。なぜビエンナーレなのかといいますと、10年前には世界中で7つしかなかったビエンナーレがいまでは世界中で201も開かれています。だからビエンナーレの内容もどんどん似てきているという現象にるいてでした。これは文化がフラット化と均等化の模式に移行している現象で、このフラット化と均等化現代の画家たちの一番の苦境でもあります。 情報社会の中での均一化の突破口は? 江上:インターネットの時代において、今の情報は断片化しています。その中でどのような解決方法があるしょうか? 潘公凯:そうですね、まさに断片化です。そしてお互い学びあっている。東半球で出てきたものがすぐ西半球で見える。西半球で出てきたものが東半球でもう作れてしまう。お互いに影響しあって、同じになっています。 江上:ではこの中での突破口はどこにあるでしょうか? 潘公凯:だから私の主張はそれぞれの文化の独立性を保持することです。お互いに近くなりすぎず、互いに勉強しあったり注目しすぎない。互いに翻訳する頃は大事だけれども同じになってひとつのものになってはいけない。それぞれの特徴を保持すること。今の時代では自分の特徴を保持することはお互いに真似あうことよりずっと難しいです。 江上:では中国の新しく出てきた新水墨も自己の特徴を保持する一種の方法と考えられます。 潘公凯:新水墨はいろんなのがあってとても混乱しています。水墨と関係なくただ水墨という材料を使っているにすぎないちがうものもあります。これは油絵やアクリルと同じでただの道具にしか過ぎません。ただの道具には多くに意義はありません。水墨というのはその材料ではなく精神性を継承しなくてはいけないでしょう。だから中国の伝統水墨への研究は実際には文化の道具材料ではなくて文化構造なのです。 中国の現代アートの問題点 江上;では世界でこの平均化の問題があるならば、中国の現代アートはどう感じますか? 潘公凯:中国の平均化もとてもひどいです。学ぶのが速いですね。でも今の若者たちはできるだけほかのものと距離を置こうとしていますが、なにせよ情報の伝達はとても速いですから、ほかのものから距離を置こうとするのは大変難しい。 江上:人との距離もそうですね。 潘公凯:ええ、1980年代生まれの人と1990年代生まれの人では話し方も、考え方さえもどんどん似通っています。感情生活までも似ていますね。それはみんな同じ教科書、同じ先生、同じ車に同じ店にいってるから、どんどん似てしまいます。これは人類の大きな苦境ともいえます。 江上:ではその中で中国の美術と世界美術との関係性、日本美術と中国美術の関係性はどうでしょう? 潘公凯:やはり最善策は一部の人が人と違って、一部の人が勉強し、互いに多元性を保つことでしょう。 江上:やはり距離が近すぎる? 潘公凯:全世界から見てもすべての女の子が同じかばんを持って同じ服を着ている。審美性も似てきている。でもこれはすべて悪いことではありません。勉強することで更に便利になりますし、交流も便利になります。地球というのは遠いようでとても近い。いいことでもあります。でも長い目で見れば、よくないです。100年後に世界中の人がほとんど同じでは良くないですからね。 これからの東西融合とは? 江上:確かにそうですね。ところで中国では多くの人が「東西融合」と話しているのを耳にします。この考えは日本の70,80年代にもあった考えですが、同じように中国も昔からあったと思います。1990年代の中国は西洋の情報が多く入ってきた時期で「東西融合」といっても実質的には西洋の文化と芸術を吸収している状況だったと思います。ではこの2014年の今の時代における皆さんの言っている「東西融合」とは何なのでしょう? 潘公凯:90年代の状況をよくご存知ですね。今の東西融合は80年代と比べて更に深いものだと思います。理解が更に深まり、もっと本質的に結合します。80年代は表面上の西洋化でしたが、今はもっと深い精神性から融合するのではないでしょうか。しかし、全体的な傾向から見るとこの融合の規模はますます大きくなり、それにより結合の勝敗も更に強くなります。そして平均化も進んでゆく。だから私は今日美術館で2013年に「弥散与生成」という展示をしました。これは物理現象でもあり、例えばある香水を部屋に置けば部屋中にその香りがしますね。 江上:では先生が考える東西融合の中に更に自分の民族のものいれている芸術家は誰がいるでしょうか。 潘公凯:全体的にやはり顕著な相互影響の傾向があるので東洋人にせよ、西洋人にせよみんな均一化しています。良いところももちろんあります。それによって今の若者は国際的な交流手段を持ったといえますし、視野が広く中国以外のことも知っています。もっとも日本は中国よりもこの方面はもっと上手だと思いますけれど。だから日本と韓国の国際化の程度はとても高い。 江上:現在日本にも各国にも中国人留学生がたくさんいます。中国が国際的になるのも宗遠くはありません。国際的といいますと、世界では徐氷さんや蔡国強さんが有名ですが、彼らは東西融合したといえるでしょうか。 潘公凯:彼らは比較的早期に留学しましたね。彼らは今はとても経験豊富ですが、彼らより若い人で30,40歳の人たちで欧州、アメリカにいるアーティストは国の文化に対してとても理解しているので外国に対して適応性が高いです。 江上:では先生が注目している作家はいますか? 潘公凯:今外国にいる中国のアーティストは80年代に外国へ行ったアーティストほど目立たないような気がします。でも今の若いアーティストは外国に行った後、中国のアーティストとしてではなく、潔く外国のアーティストになってしまった。徐氷さんや蔡国強さんが有名なのは彼らがその西洋の社会に溶け込んでいなかったからです。若いアーティストはアメリカに行けばアメリカのアーティストになってしまう。徐氷さんや蔡国強さんは中国の背景があった少数派でした。 中国美術教育の成果―アジアの技術 江上:面白い話です。では先生自身は中国トップ1,2の芸術大学の学長を歴任してきましたが、中国の現在の美術教育に対してどう考えますか?またその長い教育期間を経ての変化ともっとも大変だったことは何ですか? 潘公凯:美術教育は80年代から90年代、特に80年代はとても時代遅れでした。しかし21世紀後に迅速に水準が上がりました。その中でも国際上での理解では大きな成績を残したのが一方面、もう一面は中国がずっと厳格な造型の訓練を捨てなかったのが中国美術教育の行った正解なところです。今のヨーロッパの美術教育の苦境は彼らが徹底的に造型能力に対する要求を捨ててしまったので、私が見る限り若者たちはアイディアは多くいいけれども、実際に創作の段階になると能力が比較的弱いです。絵を描いても対象に似ていない、創るのにツメがたりない。要は手作業ができていないという点です。この点において中国の学生は優位性があるので中国の美大を卒業後ヨーロッパで博士課程や大学院で学ぶ人はみんな成績が良いです。これはアジアの特色でもあって、韓国もそうです。だから中国の美術教育はこの方面ではうまくできたと言えるでしょう。 江上:では中国美術教育の問題点は? 潘公凯:欧米と同じでどんどん同じ方向に発展しているところでしょうか? 父・潘天寿からの影響 江上:美術教育といいますと、先生の父親である潘天寿もいい美術教育家であり、有名な水墨画家でもあります。先生の絵や芸術への態度上で何か影響はありますか? 潘公凯:影響はもちろんあります。それはとても複雑な影響ですね。私の観点は父と関連しています。私は父の観点に対して深く研究したので、彼への理解は私の観点の形成にとても役に立っています。彼も彼の時代の問題点を解決し、私は今の時代の問題を解決している。これらの問題点は実際には関連性がありますが違いもあります。 江上:先生の作品や性格に影響はありますか? 潘公凯:もちろあります。私の水墨は影響を受けています。特に私の美術教育に対する責任感も彼の影響を受けています。彼は美術教育に対して責任感と興味が多くあり、私も同じようにそのために努力しなくてはいけないと思ってきました。美術教育は私たちの本分で、するべきことだと思っていますから。 江上:潘天寿は日本にもつながりが深いです。1929年に日本に考察に行き、1981年に中国代表書画団員の一員として日本に行っています。 日本の現代性をどう見ているのか?-勉強し続ける日本 江上:実際アメリカの経済発展後、日本の高度経済成長期、日本の美術は多くの東西融合、アジアの再定義の美術に対する答えを出すことができました。今、アートの中心がゆっくり東洋化している中、この謎に対する答えは中国にあるのではないでしょうか? 潘公凯:私が見るに日本は20世紀に現代化への過程のなかでは成功したといえます。中国が頼っているのは人口が多いことで、人が多ければ人材も多いですからね。人口の多いことは中国の優位でもあります。では日本は西洋から学ぶ課程でとても上手に学ぶことができました。でも自己の新しい文化構造と文化システムにそこまで要求が強くなかったため、西洋のものをよく勉強すればいいと感じていました。実際日本には西洋よりも更に良い理論を展開する条件がそろっています。とくにあなたのような若い世代はそれをすることができるでしょう。前に東京芸術大学の教授とこれについて討論したことがあります。みんな絵はすごくいいけれども、理論から深く一種の支持や理論的な解釈が足りなかったと思います。 江上:日本はやはり欧米の文化に対してある種の劣等感があるのかもしれません。 潘公凯:やはりまずは勉強してからという傾向にあります。 江上:今活躍している村上隆や草間弥生はみんな西洋で認められて日本で認知度が上がった作家たちです。これは先生が先ほど話していた地理状況における特質で、外国の文化を学ぶという点が関係してます。 潘公凯:これは日本のいいところでもあります。勉強勉強、それでも勉強。 江上:自分の文化に対しての理論的な部分が必要となってきますね。ありがとうございました。 時計の針は深夜12時を回っていた。実はインタビューの前に潘公凯先生は建築のプロジェクトに関する会議を延長で10時まで開いていたのだった。その後私のインタビューにじっくり耳を傾けながら紳士的態度で対談してくれたのに私はとても感動した。今年で67歳になる潘公凯先生の年齢を感じさせない熱い情熱と体力を見て、20歳の私はもっともっとがんばらなくてはと思った。
左は潘公凯、右記者

左は潘公凯、右記者

江上 越(Egami Etsu) 1994年千葉市生まれ。千葉県立千葉高校卒業後、2012年中国最難関の美術大学・中央美術学院の造型学院に入学。制作と研究の日々のかたわら、北京のアートスポットを散策する。ここでは北京のアート事情、美大での生活などをレポートしてもらう。


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