中国美術界の仕掛け人 第12弾:蘇新平:草原の魂を追求する芸術家
蘇新平
1960年内モンゴル生まれ 1988年中央美術学院版画科卒業後学校に残り先生に。現在中央美術学院副学長 89年に全国美術作品展にて銅賞、中国美術館にて展示。90年代に横浜国際版画ビエンナーレ、大阪版画ビエンナーレ参加、千葉市美術館にてアジア四国版画展。91年に上海美術館で個展、2005年中国美術館、2013年今日美術館、2015年中国美術学院美術館にて個展など精力的に制作を続けている作家である。
内モンゴル出身の蘇新平は版画出身でありながら、油絵、最近はインスタレーションも行う。芸術家として多くの活動をしつつ、副学長として中国美術界の教育にも精進するエネルギッシュな人だ。遊牧民のように寛大な心を胸に、彼の考えることを伺った。
広東美術館でのインスタレーション
広東美術館、風眠芸術空間での展覧会
江上:先生は先日広東美術館にて大規模な回顧展、同時に広東の風眠芸術空間にて初期の版画作品、2つの展覧会が開かれ全面的に先生の作品を理解することができました。そこで展示される先生の作品の多さに驚き、また先生が一つの形に縛られず追求する姿勢とエネルギーに感動しました。タイトルの「有儀式的風景」とは先生がつけたのですか。
蘇新平:ありがとうございます。この展覧会の名前はキュレーターの黄専がつけました。といっても毎回展覧会は私とキュレーターが一緒に相談しながら決めますが、今回は展覧会の構成もすべてキュレーターに委ねるところが大きかったです。実際それぞれのキュレーターが違う捉えかたをしてくれることは現代のいいところですね。彼らの考えが私の作品にあっているかいないかというよりかは、私の作品にひとつでもその要素が入っていればいいと思っています。私は芸術家として儀式というのは特に考えていませんが、彼らがこれを提言してその方向に思考すること自体は本能です。私は芸術はある種の経験、社会の体験と成長背景、過程背景が芸術を決めていると考えています。儀式というのは舞台のようにすべて事前に準備してあることを意味します。現代の世界にはこのような現象が多々あります。儀式といってもそれは自然ににじみ出るものです。
広東美術館での蘇新平個展「有儀式的風景」
自然と思うがままに描く
江上:私は毎度先生の展覧会のタイトルにとても興味があります。独步行峰、悬而未决、我是这么样一路走过来、そして有儀式的風景。これらは何かつながっているような感じがするのです。もうひとつのタイトルに「从現実主義到自動主義」の自動主義とはどのような意味でしょうか。
蘇新平:これは西洋の考えでしょう。しかし完全に西洋概念ではなく私の芸術のなかにこの要素が入っているということです。私は最近芸術思想の転換の実際の多くの要素は
自動主義のようなものです。自動主義は大きな意味であって、実際に作品を創るときはまったくその結果をかんがえていません。濃さや一筆目の判断が2筆目、それが3筆目につながっていきます。この推進の中でストップしようと思ったらストップすればよいですし、例えばこの作品は左は描いてませんが、描かなくても、私のいいたいことはすべてなりたっているということです。中国の伝統的な認識方法もそうで、中国伝統はすべて自我の再認識から、自己の性格、家庭、これらは避けることができません。私はこの追求の過程で芸術には新旧の分別はないということ、芸術は自分のことですから。市場とももちろん関係ないですし、この世界に生きていて感じる悟り、関係性がここに、非常に生命に自信をもって行うことなのです。
アトリエにて
芸術は自我への再認識
江上:自分が一番わからないですね。ヴィヨンの詩にも「何だってわかる、自分のこと意外なら。」とあります。
蘇新平:芸術家または文学者、人文領域の人々は実際ずっと自我の認識をしていてます。これらの辺界はなく、芸術家は社会生活の中で他人や社会とは比較するのではなく、実際には自我を知るために比較、そのために学習し、本質に近づくのです。自我をずっと追問するのは文化人、芸術家の非常に大きな問題でもあります。
江上:私は大学1年生のときに版画科の思惟転換課授業をうけましたが、自我の認識は非常に難しいですね。
蘇新平:これには実際前提や概念は何もありません。ただあなたのそれぞれのひとつの言行、考えていること、日常の行いが、意識的に感じ、自我認識することです。あなたの特徴は何か、他人と比較したときに自分がなぜ人と違うのか判断することができます。これは絶えず自問の過程でゆっくり形成される認識です。ただこれは生まれて天性的にもっているわけではありません。生活のひとつひとつを意識すれば社会での経験や知識構造が豊富になれば、世界での異なる文化、人種に対する認識があって、これは非常に広大で、比較があって成り立ちます。他人の認識なしになぜ自己を認識できましょうか。他の国、文化への理解がなけでば、中国自分の文化を認識したといえましょうか。
江上:確かに先生のおっしゃったように、私は日本から海外に出たことで、もっと日本のことをよく知ったような気がします。
観察と大衆に流されない
蘇新平:正にそれです。私も世界の多くの場所にいきましたので、中国を、自我を認識しました。
でも日常生活の中で故意的に特定の場所に行くといったことはありません。コントロールされるのは好きではありません。例えば仕事の関係でその場にいったり、例えばパリに行っても私は博物館に行ったりはせず、自分で自分に要求は出しません。それよりかはホテルのベランダから町の行き来する人々を観察したほうがもっと収穫は大きいです。これは芸術家の変な癖でもあります。周知のこと、旅行の古代遺跡などには興味ありません。干渉なく自分で自然とふみいったのは別として。例えば勉強もそうですが、ずっとこの本がいいと薦められても気が進まないときは意味がありません。自分で自発的にそれを読んだときにすごいと感じるし、事前に人が教えたとしても、自発的吸収は一番収穫が大きいものです。
これは体制外になってしまいますね。人が面白いと教えるよりは自分で面白いと思うこと。若い人にとってはとても意義があり、例えばスティーブジョブス、彼はもはや芸術家ですね。彼も人とは違う成長路線で、独特性があります。完全に自我的で、これらはどの領域も政治家もそうです。芸術家も学習によるものではなく、天才は天才なのです。学習は少しの助けにりますが、多くは自我の釈放です。
広東美術館の開幕式には靳尚谊先生も(中国美術界の仕掛け人第8弾で紹介されました)
劉小東先生も参加しました(中国美術界の仕掛け人第11弾で紹介されました)
教職があっても常に思考、時間を上手に使う
江上:先生はアーティストとして非常に成功していますが、なぜまだ体制内にいるのでしょうか。
蘇新平:体制内と体制外は多くの層を通して話すことができます。例えば、私達の成長過程は体制内ですし、若い頃は安定した仕事を求めるものです。そして自然にこの道に入って大学で授業をし、現在副学長にいたります。すべて故意的に追い求めたのではありません。もちろんアーティストの角度から言えば、社会的職業があるとさらに深く芸術を追求する時間が減るという人がいます。これは私と彼らの考えの違うとところで、私は仕事を拒否しません。どれほど負担をもらっても耐えます。それは芸術の思考に影響をあたえることではないですし、全て個人の把握に委ねられています。もちろん体制外では体験できないような経験もあります。私達はこの社会に生活していますからこの社会に認知がなければ、どうして思考できましょうか。強いということは、それぞれの経歴のなかから自分の思考回路を整理することです。これらの隔離から生まれ、刺激になります。体制内が何か大きな破壊的現象であるわけではありあせんから。わたしは自己と関係がなく、外の潮流にながされつくる芸術は本当の芸術とは無関係だとおもっています。
江上:アンディーウォーホルは?
蘇新平:自分で潮流をつくることは彼の本能なのです。彼は流行の旗手となるような人なのです。私がもしそのような状況におかれてもできません。私は落ち着くほうが好きですから(笑)
江上:先生は学校の仕事も多いのに、こんなにも作品が多いのはそのエネルギーはどこからくるのですか。
蘇新平:それは簡単ですよ。自分の遊ぶ時間を減らすことです。仕事が多くの時間をとってもあなたの思想は豊富で回転し続けること。ちゃんと考えが明確に整理できれば、実際手を動かす時間は少ないです。なぜなら私はどのようにすべきかわかっているから、手を動かせばすべてできるのです。一つの画面上で窮屈になったり悩むことはありません。わかっているから、直接それを表すことができます。私の作品は多いですが、すぐに実現することができますし、もちろん故意的に一年かけて作る作品もあります。そして作品は必ず毎日少しでも描くようにしています。重要なのは毎日すこしでも作品をすすめることです。多くのアーティストは思いついたときにすぐに制作をしていません。職業のアーティストはもちろん多くの時間がありますが、その時間を大切に使うとは限りません。考えるだけでは、または作品のなかでいろんな方向性にかわったりして反復的に試しても、私はこの段階はもうすぎました。現在の多くは考えをもっとクリアにすることに重点をおいています。もしそれができなかったら、10年後も作品の中にはまだこの問題が存在します。ですから、よく考えること、当然何十年もの土台がなければそのような思想も先ほど話したことはどんなにいい考えあがっても不可能です。異なる段階においてそれぞれ人のあるべき道、基本的なものはそれぞれ違うので、この思想は逆流はできません。
新作
若いころはすべてが糧になる
江上:ではわたしの今の若い年齢では多くの実験をしたほうがよろしいのでしょうか。
蘇新平:わたしはあくまで教師ですから、なんともいえませんが、言えることは毎日やるべきことにぶつかれば実行すること。自分にとってマイナスでもすべては糧になるし、知識と同じようにすべて蓄積です。若いときは例えば1年間道路の清掃員をしても青春を浪費したことにはなりません。この体験は本を1000冊読むよりも勝ります。もちろん学校では本も読まないといけませんがね(笑)これら全てはあなたの個人の経歴を人と違うものにし、独特の思想を建ててくれます。私は日本人のやるといったらとても完璧にやる状態を尊敬しています。中国はこの方面ではまだその能力がないです。もし誰もやりたくない仕事をあなたが成し遂げたら、みんなあなたの価値は更に高くなります。人には高低も善悪もありません。みんな平等で、公正で、人の基本的価値は実際いろんな方面にあります。
江上:なるほど。先生は90年代のときに日本で頻繁に展覧会をしていますね。神奈川や札幌などの版画ビエンナーレまた千葉市美術館でもグループ展をしています。
蘇新平:実は日本語も少し勉強しました。版画科でしたので、版画の制作中に国際的な展覧会の話をいただいて作品を送り、展覧会に参加しました。福岡アジア美術館でも展示し、収蔵されました。
実力のある人がすき
江上:実際体制内のアーティストでたとえば中央美術学院の先生ですと、展覧会をする人は少ないように思えます。先生が多くの展覧会に参加するのは必然性と偶然性両方あると思うのですが、何か考えや哲学があるのでしょうか。
蘇新平:特にないですけど、これは中国の社会です。特に海外はこのように分けているような気がします。客観的に見れば私は体制内にいます。この考えは西洋的ですね。でも個人では今まで体制内外のことを考えたことはありません。自分は芸術と文化はそのように分けることはできません。私は体制内外に限らずレベルのある芸術家をみんな尊敬します。それに高低はなく、みんな尊敬すべきです。レベルの高低しかありません。人々は平等で平等のなかに好き嫌いがあり、わたしは実力の有る人がすきです。どんなに富がある人よりかは農村でも才能の有る子に出会えば、力になりたいと考えます。
江上;日本も明治以降そして近代後に在野団体が誕生しました。体制はないように見えていまだに存在するのではないでしょうか。
自分で体制内外と束縛してはいけない
蘇新平:私があるときアメリカにいき、空港で何をしているかと訪ねられました。アーティストと答えたら、なぜ大学教授のビザなのかと詰問されました。当時の私は矛盾していないと思っていたので大変困りました(笑)
でも自分で体制内外で自己を束縛してはいけません、なぜなら外のことのおおくは体制内とちがいますが、芸術家は自分のシステムがないといけません。体制ばかり考えていては研究の深度それぞれ束縛されるし、体制内の理論は体制外よりも強いと考えます。体制外は不安定要素が大きいので、もちろん発展しづらい部分もあります。でもあなたの作品がよければ、全てよしです。これは何処の国でも同じです。
実は写生ではなく、表現するのは都市にいる自分
江上:いい話をききました。自分で自分を制限してはいけませんね、打破しないと。先生の初期の代表作は内モンゴルの草原シリーズですね。実際当時多くの人が少数民族の地域に赴き成功しました。陳丹青、艾軒らもそうですが、彼らは多くは写実的です。先生はなぜスタイルの出発点として少し不思議なシュルレアリズム的なスタイルを選んだのですか。
蘇新平:文化大革命が終わって、みんなの目線はもっと遠い辺縁地区に赴きました。みんなそこの生活に好奇心があってウイグルやチベットに写生に行きましたが、どれもとても表面的です。みんな大都市からその地域に行って、その民族的な特別感に魅了され、描くのもお祭りや儀式など特別なものばかりです。しかし私の表現する題材はこれと全く関係ありません。わたしはずっと内モンゴルで育ってきましたし、北京にきて人とのつきあいや私が内向きの性格もあり、とてもなじめませんでした。大都市の人は何でも知っていて、私は何にも知らない。そんな都市も環境も好きではありませんでした。そのときに自分の小さいころ住んでいた記憶がよみがえり、草原で写生するのではなく、自然と記憶の中のものを描いていました。わたしの心は矛盾と葛藤に悩まされていて、実際内モンゴルの題材で都市に生活する自分の内心を描いていました。だから私の描く影にはなにか魔的な不可知な神秘性が隠れているのです。
江上:写生ではないのですか!?
蘇新平:もちろん参考にクロッキーや写真もありますが、自分のほしい画面にするためにはそれらは参考にしか使えません。わたしがいっているのは背後にある物語なのです。
江上:大都市例えば北京の作家と辺縁地区の作家はなにか違いはありますか。
蘇新平:辺縁地区の作家は彼らにとって、文化に対する認知がありません。何冊の本を通してしかわからなく表面的、知識の構造が立てられていません。私のふるさとでは情報も限られていますから、みんな自由奔放で野放し状態です。私もそうでした。都市の人は小さいことから何でも知っていて、すぐ私達のしらない単語ひとことで、私達は頭の中が真っ白になってしまいます。都市にはなじめないので、いったん心がねじれてしまうと、ずっと生活の矛盾に着眼してしまうのです。
江上:だから先生の版画の影はあんなにも黒いのですね。
蘇新平:わたしは光よりも闇をよく見てきましたからね(笑)都市の人は何を描いても正解で何でも知っていました。でも今は自信がもてます。私達は都市の人より好奇心が強くなんでも学びたいと強くおもうからです。
江上:大学時代はどのようなアーティストがすきでしたか。
蘇新平:みんなこの問題をきくけれども、私は性格が内向きのせいか、欲しいものが多いので、多くの方面から思考してしまう。だからこれという好きなアーティストはいないのです。
表現方法の変化は自然体
江上:おもしろいですね。先生の変化は木版から石版、そして油絵、インスタレーションなど変化が大きく、もちろんここに必然性も偶然性もあると思うですが、先生はこの問題に対してどのように考えていますか。
蘇新平:まずわたしは知識も物事も辺界(境界線)をつくらないタイプです。私が版画を作るのも自然で版画科に入ったら夢中で十数年もやり続けました。そして海外にいったときに表現の空間が少なすぎると気づきました。とても油絵が描きたくて、技法書を何冊か買って描いていましたが、あるときこのように描いていては一生油絵科を超えることはできないと考えました。わたしは表現をしたいから油絵を描いているのだと。ですので、油絵の技術に束縛されず、専門にこだわりすぎるのではなく、今の段階で表現できない壁にぶつかるったとき、彫刻やインスタレーションにつながりました。故意的ではなくあくまで自然にです。
自分とは?芸術の本質とは?を追い求める
江上:でもそれぞれのメディアを通して表現しているものにはある種の一本の道筋があります。
蘇新平:描いているときは自分の思考を放出し、審美にたどりつくまで、拡散、自分の思想の要求、内心の要求にそってほかの概念はありません、もちろん利益関係もありません。当時草原の題材から社会的題材にかわったときもすべて内心の衝動からきています。中国国内市場がとてもよかったとき、私の作品もいくらか売れましたが、そのときちょっとこれは違うのではないかと思いました。お金のために描くのではなく、もう一度芸術はなんなのか再認識し、私の初心はなんだったのか、最も本質的な問題を問い詰めました。
この過程で、解決し、わかってきて風景を描き始めました。私が描いているのは実際風景ではないのですが、風景というタイトル名のついた風景です。この社会と接触をしていて、私の心の中での「社会」と世界観、内心の考えの延長です。ですので観客がこれはなんなのですかと聞かれても、あなたが何に見えれば何であると考えます。みんなが世界に対する感じ方、共感性、個人の要素、それぞれちがって当然です。それらがみんなの話題となることは私の必要とするものです。
私の日常への再認識または尊敬、それらが重要です。色を3色えらんで、描いては筆の余分な色を紙でふき取る。この紙も私の作品です。このいらない紙もわたしの頭脳を通して私の作品と同じです。芸術の本質的なものを尊重し始めました。私のそれぞれの言行すべてが作品で、それでインスタレーションには作品の過程にてでるいらない紙を集めて映像と一緒に展示しました。これは実際中国の伝統絵画からきていて、中国のある田舎では書の練習に使われたいらない紙をその人の作品と同じように大事にして、あるとき儀式的に焚書してしまいます。それもとても神聖で、ある種の芸術です。偉大な作品でも、わたしはどう描いたのかなぐらいしか見ません。でも好きな作品は必ず芸術家がどのように歩いてきたのかこの経歴がとても重要です。過程が重要です。
江上:現在の若い世代は時代も安定しててグローバル化、とても統制された平均化しています。
蘇新平:それはとても怖いことです。芸術の根本は思想の独立した言語方法の独立ですから。
いろんな表現を振り返って
江上:ではいろんなメディアを使っての表現をふりかえって先生はどう感じますか。
蘇新平:基本私は振り返ってみることはないのですが、ああこんなに作品を描いたんだなぐらいでしょか(笑)経歴や思想の衝突、豊富で複雑な内心だからです。そもそもこの社会が複雑なのです。私は問題を問い詰めるタイプの性格なので、人をみてもその人の弱点ばかり見てしまうのです。もちろん職業の影響もありますが。なので自分にも満足できなくて、毎日朝がくるとどうして生きられようかとても苦しいです。社会の要素でも見ている問題が多いと自分の空間が圧迫されます。この世界を変えようとしても、それは到底できないと気づかされるのです。
風眠芸術空間にての展示
記録映像も放映
初期の作品
未知への期待
江上:先生の作品は今後どのように発展する予定ですか。
蘇新平:すべて未知です。私は事前に決めることはありません。今の世界はとても複雑で豊富で深刻で、内在する性格にせよやはりいままでの延長にあり、問題にぶつかれば思考します。もちろん、例えば展覧会会場を見て今の作品では会わないと思ったら、新作を描くというケースもあります。
今後の中国現代アートは東洋的
江上:今後の中国の現代アートはどうでしょうか。
蘇新平:昔はアウトオブコントロールでした。未来はきっと自然な状態でしょう。これは予測することはできません。自然発生で、ルールに違反してはいけません。でもアメリカのキュレーターがこうあるべきだと話したから私達がそうでなければいけないというのはいけませんね。私達の発する声は彼らとは必ず違いますが、同時に彼らの声を含んでいるはずです。模倣はもう終えるべきです。私達の代ですでにやったことですから。
江上:85芸術新潮でしょうか。
蘇新平:それらは私達にもちろん多くのものももたらし、この過程も必要でした。でももちろん多くの人も傷つけました。しかし商業は悪魔です。現在は商業性が薄れて人々が冷静に戻り幸いです。私はやはり芸術は個人から出発して、この世界を認知しなければ、この本土のものは成立しません。西洋のしっぽではいけません。
江上:ですから中国8という展示がドイツで行われましたね。とても大型のグループ展です。
蘇新平:ドイツと中国の両方のキュレーションですね。中国側は官職があるので、すこし国家的色彩がありますが、これは体制外では自覚のない状態になってしまってもよくないので、今回の展覧会は比較的に体制内外を破って比較的客観的な展覧会です。私は体制外も批判しません。
現代主義の重要性
蘇新平:現代主義は日本でとてもよく発展しました。日本はこれに対する意識も高いですし、中国は現代主義について全く認知していません。これはある種の問題です。現代主義は生活のそれぞれの面、デザイン、建築、特に工業デザインはそうです。中国は現代主義を通らず直接コンテンポラリーアートにつながったのでとても危ういです。これを補うには相当の時間が必要です。日本の経済発展ももちろん現代主義と離せませんし、たとえ現代アートの普遍性がなくても現代主義の意識があるから自信があります。突然素晴らしい建築家やデザイナー、アーティストが出てもすごく日本的です。全世界の発達システムは全て現代主義と関連します。それは教養となって、いろんな方面の関係と結びついています。
江上:現代主義と社会性、近代全体とつながっていることですね。今回インタビューを通して、先生は草原の上を飛ぶ鷹のように、草原の魂を追求する芸術家だとわかりました。
蘇新平:すばらしくまとめてくれましたね。その言葉、ぜひこちらでも使わせていただきたい。鷹はこんなにも広くて自由でだれも彼を束縛できない、広い視野をもっている。でもそれは何も考えずに飛んでいるのではなく、目的があって、その目は問題を見つけることができる、鋭く、見つけたいものを逃さない。そして手を下すときは強いですね(笑)私も楽しかったです。ありがとう。
隋建国先生(左)との再会
風眠芸術空間の李建華(左)
中国美術評論家、キュレーター栗宪庭と中国美術界の人々
作品の前にて右は蘇新平
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「有儀式的風景」蘇新平個展
会場:風眠芸術空間(広東広州市)広東美術館
会期:2015.10.18-12.31